未来と将来を考えよう / 日本語ラーニングサポートLLC

未来と将来は、どちらも時間的にこれから進んでいく領域(ゾーン)」です。

では、どのように使い分けたら良いのでしょうか。

 

「未来(みらい)」と「将来(しょうらい)」を考えよう!

 

■未来、の例文

①100年先の未来、日本の夏はどんなに蒸し暑いだろう。

②過去が現在につながり、そして未来を作っていく。

③未来は誰にも分からない。

④今を生きる子どもたちに素晴らしい未来を残したい。

■将来、の例文

①’将来の夢はお金持ちのエンジニアです。

②’今の努力が、将来の自分を作る。

③’なんとなく将来が予想できる子どもたちだ。

④’子どもたちの将来が楽しみで仕方ない。

 

このように読んでみると、「未来」と「将来」の両者の違いがなんとなく感じられるものです。

再確認しましょう。

■未来、とは

過去 → 現在 → 未来

私たちが考える「時間」のイメージのうちで、今の部分を現在として前と後の部分がそれぞれ過去と未来にあたります。

※「時間」とは人間の意識においてどのような概念か、興味深いものですがここでは一般的なイメージとして共有することにして、「時間考察」については割愛します。いずれ、いつかの機会にお話しましょう。

■将来、とは

〈今を生きる【人】など〉 → 将来の【人】※未来でのイメージ

つまり、今この世界に存在するが〈人生〉という時間の道を進んでいった、その先の(の姿)が存在する未来=「将来」なのですね。※時間的に未来に存在する同じ人が見る「未来」でしょうか。

例:将来、プロのサッカー選手になりたい。

将来、とは何かが時間を過ごしていく先の未来ですから【人】に限りません。

例:この国の将来が希望に満ちていますように / この国の将来が心配だ

例:この会社には将来がある。←未来の状態が良いだろう!

例:将来、AI(人工知能)が人間と生活する日が来るだろうか。

などなど、です。

 

以上のように「未来」と「将来」を整理してみました。

実際の日本語会話の場面では、どちらの言葉も使うことができる場合がいくつもありますが、

(※日本の未来は・・・ / 日本の将来は・・・)

●話している人が何をイメージして話しているかな?

●どちらの言葉を使った方が、聞いている人にとって分かりやすいかな?

このように頭の中に広がる’イメージ’をよく考えて、日本語の文が表す意味を想像して身近な日本語コミュニケーションに「未来」と「将来」を使い分けられたら素晴らしいですね。

 

さて、以下には実戦的な日本語コミュニケーションの入り口としてのレベルを考えて文章を用意してみました。

日本語能力試験(JLPT)でいうところのN2の受験勉強を頑張るレベルだと思って読んでいただければ嬉しいです。

読むこと、は日本語をトレーニングすることそのものです。

↑↑※ご参照ください / 日本語の会話と聴解力は語彙トレーニングで磨きましょう2023.6.16blog

「読書」が、日本語の漢字力・語彙力・文法力・コミュニケーション力を総合的に必ずレベルアップさせてくれるものです。

楽しく読めれば合格の水準、たくさんの文章を読んであなたの日本語を磨きましょう。

 

「未来を見ることは可能か」

未来とは明日や明後日、もしくはずっと先のいつかにあるものである。いつかはここに来る。しかし「未だ」「来ていない」ので、即ち「未来」である。面白いのは、その存在は感じることが出来るのに見たり触れたりすることは状態が変化しない限り一般に不可能であることである。未来だったものが身の回りで実現する時には、既にそれは現在に変わっている。そうするとその先にあった未来がまた順番に列を作って、規則正しく入れ替わっていく。明日が今日になるのだ。ではすぐ近くにあるのに知覚はできないそれを理解する、言い換えれば未来を見ることは可能であるだろうか。一秒後、一時間後、明日、来週・・・、このように未来は例外なく自然の規則に沿って存在している整然としたものだ。よって、よく見れば見えそうな気がする。

さっきお菓子を食べたから一時間後はまだお腹が空かない。夕ご飯には早いだろう。

今晩はきっと彼女からメールがくるだろう。

「明日は全国で暑くなるでしょう」←9月なのに大変だ。

とても身近に「未来を見る」ことは存在する。完全でないのは100%の確実性が無いということだ。つまり「見えている」とは言えないわけだ。しかし感じるを見えるのゾーンまで、水準を引き上げることは可能なことであるかもしれない。

今から走れば電車に間に合う、

信号があと5秒で青になる「急げ!」

単純な事物に対して私たちはほぼ確実な未来予知を下している。

要は情報量の問題なのである。私たちを包む圧倒的な影響要因のすべてを把握して理解する情報処理能力があればよいのだ。

そう、例えばこれから未来に完成する圧巻の許容量と性能を備えるスーパーコンピューターのように

 

「私は将来を見たくない」

子供の頃、学校で「将来の夢」なんていう作文を何回か書かされた。

自分の将来なんて見たくない。考えれば、あまり明るいものばかり思い浮かぶわけでもない。

どんな大人になるだろう

どんな仕事をがんばるだろう

どんな結婚をするだろう

どんな中年になるだろう

どんな老人になるだろう

「夢」とは人生のイメージの中途に見える明るい時間に収束される。

夢の後の将来にはどんな時間が待っている?

僕たちはいつかの以前に生まれて、いつか生を終えて世界に還る、

生きることこそ束の間の夢に違いないと思っている。

僕にとっての少年は、誰かたくさんの人の将来の夢の先だったし、

僕にとっての中年は、誰か他のたくさんの人の夢の始まりだろう。

過去は記憶の中にあり、人の話の中に生き、ただ今がある。今が常に新しい今に入れ替わって僕たちの人生の上を流れていく。

始まる人も終わる人も長い道の途上を歩く大多数の人も、同じ今だけを生きている。

どの今も同じ価値、同じ時間である。

この瞬間、記念日も明日死ぬ日も同じ重さの今日である。「今」を懸命に、小さな出来事に真剣にやってみよう。

いつか今が終わる将来まで、それで十分に僕は生きた。

 

 

9月の残暑も今年は特に厳しいですね。

涼しい季節の訪れを待ちながら、少し気の早い「勉学の秋」を始めませんか?

日本語の本格的な勉強には一度はプロの教師のレッスンを試してみてください。

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