日本語はオンラインで勉強を始めよう!「なっとう食べれるよ」は日本語の間違いでしょうか/日本語ラーニングサポートLLC

2023/05/26 ブログ

日本語はオンラインで勉強を始めよう!

私たち、日本語ラーニングサポートLLCはオンライン授業を主体として予約制の個別授業を提供する専門の語学教室です。

2023年第一回のJLPTもだんだんと本番が迫ってきましたね。

日もすっかりと長くなり、もう蒸し暑い5月の終わりです。

今年のキャリアアップに「日本語を頑張って勉強してみよう!」と思ったら是非一度はプロの教師のマンツーマン個別授業をお試しください。

きっと驚くような日本語の発見と出会えますよ。

 

さて、本日のテーマは表題の通りです。

■なっとう食べれるよ。

 

上の文は日本語として正しいでしょうか。

=なっとうを、食べることができますよ、という可能の意を表す文ですが残念なことながら現行の日本語文法とは、どう照らし合わせても日本語の間違いと言わざるを得ないようです。

 

本来あるべき文の形としては、

■納豆を食べられるよ。(※納豆食べられる)

 

このように話すことが望ましいと考えられます。

①助詞が抜けている。※納豆(を)・・・

②動詞部分の言葉の形が乱れている。※食べ(ら)れる

二点の問題のうち、①は話し言葉としてカジュアル日本語と扱えるでしょう。

決定的な誤用は②の「食べれる」という可能形の動詞部分です。

食べられる / 食べれる

 

このように一部の可能の形の動詞のうちで、「ら」を落として話される形を「ら抜き」言葉と呼んでいます。

 

実に様々な場面で日常的に用いられる日本語の用法であり、単に間違いとしては整理できない要素があるようです。

例:今日はよく寝れそうだ。※「寝られる」よりら抜き

例:ちょっと、このページ(あなたのスマホで)見れる? ※「見られる」よりら抜き

例:(ラッシュ時の電車で)こんなに混んでたら次の駅で降りれないよ。※「降りられる」よりら抜き

などなど、、、

 

「ら抜き」言葉が現れるのには一定の条件があり、

まず対象の動詞がⅡグループのものであることが挙げられます。※教材によってru動詞とも言われていますね。つまり、上下一段活用動詞のことです。

 

Ⅱグループの動詞は同じ形になってしまう活用を複数持っているのですが、ここに大きな要因があります。

 

表題の例に倣って辞書形「食べる」を用いて検討してみましょう。

1,納豆が食べられる。(可能形)

2,きっと今日も姉にケーキを食べられる。(受け身)

3,お客様が食べられるのだから、綺麗に盛り付けてくださいね。(尊敬)

 

三種類もの用法において同じ形「食べられる」が用いられています。

 

もちろんどれも前後のお話の流れが実際には存在しますので、判別は比較的容易であるとは考えられますが。

しかし、それを考慮しても可能受け身尊敬のどれもが「食べられる」ではややこしいものです。

これは全てのⅡグループの動詞に観察される共通事項です。

(シャワーを)浴びられる、(荷物を)片付けられる、etc.

 

そして

「ら抜き」言葉は三つの用法のうちで可能形の意味のみを表します。

 

上の1.〜3.の文を「ら抜き」にしてみましょう。

1.納豆が食べれる。◯(=理解可能)

2.きっと今日も姉にケーキを食べれる。✗

3,お客様が食べれるのだから、綺麗に盛り付けてくださいね。✗

 

確かに可能の場合のみ意味の理解が可能なことが分かります。

 

他のⅡグループ動詞にももちろん同様です。

例:あ、もうシャワー浴びれるよ。←理解可能

例:このくらいの量なら1時間で片付けれるかな。←理解可能

 

本来の言葉の形に対して「ら抜き」という’アクセント’をつけることで可能の意味のみが、他の紛らわしい同形の用法からはっきりと分離されていますね。

 

日本語話者のコミュニケーションにおいては、実は直接的な言語外の要素による意思の疎通が比較的大きな割合を占めています。

このような高文脈文化(ハイ・コンテクスト)の内において、語形による話者意思の明示は必須の意義を持つものではないと言ってしまって良さそうですが、

しかし「シンプルに分かりやすい」のは確かなようです。

 

口頭でのカジュアルな一語文になればより明確です。

■食べれる?(=ここに納豆が残ってるけど、あなたは食べることができますか?)

確かに機能的です。

 

「ら抜き」言葉に関して、多くの教師が言及するように日本語の亜流進化であるという見解を私も個人的には支持したいと思います。

また自身を含めて、日常会話のうちで積極的に使用されることも認めたいと思っています。

※新しいものは何事も賑やかですね。

 

「あれ、鍵かけた?出れないよ。」

「ん?電気つけれないや。」

↑なぜ文法的に謝りとされる言葉が実際には広く通じるのでしょうか。

これには抽象的な回答を示す以外にありません。

ネイティブが認識し、また承認するからです。

「ら抜き」を認識して運用するというのは日本語の日本語らしい感覚が実現するものに他なりません。

※例えば「食べれる」が受け身や尊敬の意味として認識されることはありません。これが母語話者の持つ感覚です。

 

ら抜き言葉は、つまりある意味で先端の日本語と言って間違いのないものです。ネイティブスピーカーの間で一般に広く交わされている言語的コミュニケーションを解析しようとする試みこそが文法の記述とするのであれば、また本来的な意味で否定のしようの無いものでもあります。※よって逆説的に確固たる成立要因が認められる。

 

ただし、一点の大切な観点は必要ですね。

美しいこと」です。

私は言葉を用いる上で最も磨かれるべきセンスは美しさの実現だと思っています。

 

■なっとうが食べられます。

■なっとう食べれるよ。

どちらが美しいでしょうか。

 

音の数、並び、響き、そして話し手の顔つきまで想像してみましょう。

総合的に判断して、

上の文が下の文よりも美しいことに異を唱える方は一人としているはずがありません

 

現行の日本語文法(あるいは国語文法)が尊重されるべき美しい形であることが証明されています。

 

本日の記事の冒頭にはJLPTに触れる部分も設けましたが、同試験を含む公式な場面では間違っても「ら抜き」言葉は厳禁なようです。

広く日常的な場面で、日本語の揺れは緩やかに認められます。

個人的な言葉の範疇で、且つ台詞にアクセントを加える「スパイス」のようなものです。

あくまでも発話態度の美しさを損なわない範囲でという注意付きですが、能動的にローカルなコミュニケーションを構成することも悪くないでしょう。

日本語を学ぶ上では、できるだけ想像を豊かに思考を柔らかく、許容し認識し理解を重ねる為のゆとりを持って臨んでほしいのは事実、私は常々そう思って授業にあたっています。

 

いつも私たちのブログをご覧いただき誠にありがとうございます。

 

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